2014年05月15日

反捕鯨を叫ぶ前に”アボリジニー”解放運動をせよ!!

オーストラリアは
イギリスの流刑地であった

つまり、
イギリスで”殺人”や”強姦”"強盗”など
悪事を働いた人間が島流しにあったところである。

オーストラリアのケビン・ラッド(Kevin Rudd)首相の先祖もそのうちの一人
『オーストラリアのケビン・ラッド(Kevin Rudd)首相の先祖の1人は、ドレスと下着各1枚を盗んだ罪で死刑を宣告された英ロンドン(London)の路上生活児で、曾々祖父は砂糖を盗んでオーストラリアに送られた流刑者だった。』
『首相の父方の曾々々祖母にあたるメアリー・ウェイド(Mary Wade)さんはロンドンの路上生活児で、道路掃除や物ごいで日銭を稼いでいた。
 メアリーさんは12歳だった1788年、年上の少女とつるんで8歳の別の少女をトイレに連れ込み、ドレスと下着を奪った。翌89年1月、ロンドンの中央刑事裁判所・オールドベイリー(Old Bailey)でメアリーさんは死刑を宣告されたが、後に減刑され、当時英国の植民地だったニューサウスウェールズ(New South Wales)に流されたという。』
http://www.afpbb.com/articles/-/2425210?pid=3177862

つまりはDNAの中に『人から物を奪う』という遺伝子が残っている国家なのである。
オーストラリアに遊びにいったら面白いことがわかるだろう。

白人に聞いてみな。
『君たちの先祖は、犯罪者だったの?』と。

こう即答するだろうね。

『「ウチは1800年以降に入植した」と』

私の祖先は囚人ではありませんよという意味だ。
オーストラリアは元々イギリスの囚人たちの流刑地で、1801年以降は自由渡航が可能になった。』と。


ここで暮らしている人間たちはイギリスで犯罪を犯しただけではない。
5万年前からこの地に住む先住民の
アボリジニーからも国土を奪ったのだ。
『1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。
捕らえられたアボリジニ達は、ブルーニー島のキャンプに収容され、食糧事情が悪かった事や病気が流行した事から、多くの死者が出た。
これによりアボリジニ人口は90%以上減少し、ヴィクトリアとニューサウスウェールズのアボリジナルの人口は、10分の1以下になった。
さらに1876年には、タスマニア・アボリジナル最後の生存者である女性のトルガニニが死亡して、
多い時期で約3万7千人ほどいた純血のタスマニアン・アボリジニが絶滅した』
http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/29217797.html

これが有名な『アボリジニー狩り』や。

徹底的に抹殺されたのがオーストラリアのアボリジニであった。英国は、一七八八年に一一隻の船団に流刑囚一四七三名を乗せて、シドニー近くのボタニー湾に送った。その後に続いた一般植民者も、本国では受け入れられない「ならず者」や「無法者」が多かった。これら入植者がレクリエーションとして、アボリジニを野獣や野良犬のように狩りの対象としたこともあり、最初の船隊が来た時には数百万人いたのが現在では三〇万人にまで激減している。白豪主義政策が国是となり、「アボリジニ狩り」をしていたことを示すものとして、ニューサウスウェールズ州立図書館には、「今日の収穫二七匹」という記録がある。入植者にはアボリジニを殺害することへの罪の意識は全くなく、楽しいハンティングのようなものであった。しかしその後、「狩り」が問題となると、ヒ素や水銀などを水飲み場に流し毒殺するなど、アボリジニ殲滅の方法は陰湿になっていった。
アボリジニの虐殺に関する子供の時の思い出を、女流詩人メアリー・ギルモアは『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙(一九三八年三月四日)に次のように書いている。
「水飲み場の周辺に何百人ものアボリジニが死んでいた。大人たちが集まり、アボリジニの狩りに出かけるところを何度も見た。欧州から獰猛な狩猟犬が輸入された。アボリジニたちを狩りだし、食い殺させるためだった。ある時は小さな子供たちが、野犬のように撃ち殺された両親の遺体のかたわらで死んでいるのも見た」
一九三五年、国際連盟は原住民の虐殺や差別について、オーストラリア政府に釈明を求めた。しかし、オーストラリア政府はそもそもアボリジニを国民とみなしていなかったので、人口動態国勢調査対象からも外し続け、アボリジニを人口統計に入れたのは一九七六年の憲法改正以降であった。二〇〇〇年のシドニー・オリンピックの開会式では、アボリジニとの融和を演出しようとしたが、反発が強く一部が協力を拒否したため、白人がアボリジニに扮して友好和解を世界にアピールする演出をしたという。
特に悲惨なのはタスマニア島の原住民で、当初は三万七〇〇〇人が住んでいたが、一八四七年には四四人となり、最後には絶滅してしまった。
(元海上自衛隊海将補、平間洋一著『日露戦争が変えた世界史』p23〜24)

豪首相、アボリジニに謝罪

http://www.h2.dion.ne.jp/~mogiseka/article/080221australia_apoligize.html

『オーストラリア人はアボリジニの殺戮を20世紀に入ってもやめなかった。
日本では新しい昭和という時代に突入した1928年、オーストラリア人は週末ごとに「アボリジニ狩り」を楽しんでいた。
その日の狩りの成果として「アボリジニ17匹」の記載が残されている。(降籏学『残酷な楽園』)
20世紀に入っても彼らがアボリジニを人間とは思っていなかった証拠だ。』

『このため、タスマニア島にいたアボリジニーは全滅させられ、大陸に三百万人はいたとされるアボリジニはいまは三十万人が残るだけとなった。
この残されたアボリジニーたちはいまは農地を奪われ、就職口もない。
そこで表向き保護というかたちで僻地に作られた収容施設に押し込まれている。
ナチスがやっていたゲットーと同じような光景がここにある。』

『2000年、シドニーオリンピックの開会式でアボリジニの男女が会場いっぱいになって踊っていた。
「いまでは過去の暗い歴史は清算されて白人もアボリジニも仲良くやっていますよ」というパフォーマンスらしいが、踊っていたのは実はアボリジニではなくて体を黒く塗った白人で、本物のアボリジニは会場の外で「私たちを滅ぼさないで」と坐り込みの抗議をしていた。
それを知らずか朝日新聞は「民族融和、和解の証し」と称賛していた。
あまり笑えない冗談だ。』

反捕鯨より前にすべきことが山ほどあるだろう。

太子町のみなさん。

反捕鯨の連中が来たら

アボリジニー問題に取り組めよ!と言ってあげなさい。



posted by 日本皇學会 at 11:27| 東京 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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